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須永有 個展 「影をつかむ」

調和・構成を保ちながらも、

空間に馴染むというよりは、空間を壊したい。

絵筆で壁を引き裂いて、その奥を、空間を、掴んで引っ張り出すように描きたい。

絵筆という小さなつるはしで暗闇の奥を掘り進むことは、

既成概念に対する私のささやかな挑戦である。

絵画を通して、自分自身や鑑賞者が自らの立ち位置を模索するための手がかりとなるような場所を作っていきたい。

 

須永 有

 myheirloomではこの度、須永有個展「影をつかむ」を開催致します。須永はこれまで、絵画制作を通して事象の裏側や隠れた一面に光を当て、その奥に潜む本質的なものを表に引き摺り出す試みを続けています。

 

 美しいものよりも醜いもの、表ではなく裏、そして光ではなく影。世界を構成するさまざまな物質、現象について、表層から抉り出され、激しく溢れ出るような力強い色彩により浮き彫りになるものは、普段私たちが何気なく見ている風景の片隅にある見落とされた視点です。

 

 本展では、光によって生まれる影という存在をいかに主題として成立させるのかに着目し、これまで須永が試みてきた「裏側を抉り、表に引っ張り出す」行為を発展、純化させた新たなシリーズを発表いたします。黄色と黒の強烈なコントラスト、そしてダイナミックに主張する実体化した「影」は、力強くいきいきとその存在感を際立たせています。光を浴びる存在でありながら、必然的に全ての「裏側」となるアンタッチャブルな「影」が立ち上がる時、私たちはそこに初めて「光」を見出すことになります。
 

 須永の「逆転の思想」やアゲインストな精神、無骨さ。そうした意識が物事の本質に触れることにより生まれる圧倒的な絵画のパワーを、是非会場全体で体感いただければ幸いです。

 

 

 

 

 

須永 有 

1989年⽣まれ 

 

学歴

2017年 東京芸術大学 美術研究科絵画専攻修士課程 修了

2014年 東京芸術大学 美術学部絵画科油画専攻 卒業

 

賞・助成等

​群馬青年ビエンナーレ2019 入選

TERRADA ART AWARD 2014 最優秀賞

CAF ART AWARD 2014 審査員特別賞

 

個展

2019年「絵筆で照らす」/ un petit GARAGE, 東京

2016年「あなたの顔は、よく見える」/ un petit GARAGE, 東京

2015年 「須永有個展」/ T-Art Gallery, 東京

2013年 「PASSAGE」/ Bambinart Gallery, 東京

 

主なグループ展

2021年 「アソーテッドチョコレーツ展Part2 金継ぎ」ANAインターコンチネンタルホテル東京

    「ブルーピリオド×ArtSticker」/ hotel koe tokyo

2020年 「Exploring」/ 銀座蔦屋書店GINZA ATRIUM  「This is now」/ ANAインターコンチネンタル東京

    神宮の杜芸術祝祭「紫幹翠葉−百年の杜のアート」/ 明治神宮ミュージアム

​2019年 KODAI vol.1 / CAPSULE, 東京,三宿  群馬青年ビエンナーレ2019 / 群馬県立近代美術館, 群馬

2017年​ 「長嶋有と福永信のキュレーションvol.1 大★須永有展 美と微とbi☆toの原寸大」 / 太田市美術館図書館, 群馬

2016年 公益財団法人現代芸術振興財団 名和晃平セレクションCAF賞選抜展 / HOTEL ANTEROOM, 京都

2022.1.1

myheirloom ディレクター

熊野 尊文

壁を突き破る絵画––––須永有「影をつかむ」展に寄せて

 

菅原伸也(美術批評・理論)

 

 絵画というメディウムは様々なものに例えられてきた。窓としての絵画、鏡としての絵画といったように。須永有にとって絵画の支持体であるキャンバスはまず、壁のようなものとして存在している。すなわち、窓としての絵画が、キャンバスという現実的物質があたかも存在しないかのように透明となり、その向こう側に虚構の空間を描き出すものであるとするならば、須永にとってキャンバスはあたかも不透明な壁のように、現実世界において目の前に立ちはだかるものなのである。

 しかし、キャンバスが壁として存在するだけでは絵画はいまだ生じていない。それはキャンバスというただの物質でしかない。須永は壁としてのキャンバスを透明化せずに前提とした上で、絵筆という小さなつるはしによって、立ちはだかる壁であるキャンバスに穴を開けるかのように、空間のイリュージョンによってキャンバスの向こう側に空間を発生させ、キャンバスというただの物質を絵画へと変容させるのである。

 

 窓としての絵画、鏡としての絵画というメタファーに加えて、絵画は影にも例えられてきた。かつてプリニウスは『博物誌』のなかで、壁に映し出された恋人の影の輪郭をなぞることに絵画の起源を見出していたが、影が投影される支持体として壁がここに登場していることに注目しよう。壁という現実的な物質に影が投影されることで、現実的な物質性を超越したイリュージョンの空間がそこに発生する。そして、壁に投影された影はあたかもそこに開けられた穴のようでもあり、それは、壁の向こう側の空間を生じさせているという点において、須永が絵筆をつるはしとしてキャンバスという壁に穴を開けるのと共通していると言えよう。したがって、須永が自らの絵画のモチーフとしてしばしば影を取り上げているのも不思議はない。

 「影をつかむ」というタイトルから分かるように、本展はまさに影をテーマとしている。しかし、「影をつかむ」とは逆説的な表現である。現実の世界において、非物質的である影を手でつかむことは物理的に不可能だからだ。

 だが他方、絵画のイリュージョンの世界では、物理的に不可能なその行為は可能となる。さらに、本来非物質的であるはずの影は須永の絵画ではあえて油絵具の厚塗りによって描かれているため、キャンバスの地が露呈していたり薄塗りされていたりする手よりもむしろ物質性と実在感を与えられている。そのように、須永の絵画空間では物理的に不可能なことが可能となり、物質性と非物質性が反転させられているの

である。

 

 須永の絵画は、キャンバスや絵筆など絵画に関わるモチーフを扱うものが多いが、必ずしも絵画についての絵画という自己言及性に還元されない。キャンバスという壁は須永にとって、現実世界で立ちはだかる既成概念といった壁のメタファーである。須永は、絵筆というつるはしによるキャンバスという壁の破壊や、物理的法則の侵犯、物質性と非物質性との反転を通して、世の中に存在する様々な既成概念などの壁を破壊しようとしているのである。加えて、須永にとって影は、見たくないもの、隠れているもの、美しくないものの象徴でもある。

 絵画とは決して美しいだけ、きれいなだけのものではなく、そうした光に隠れた影に焦点を当てるものなのである。たとえば、そこから現代社会におけるルッキズムに対する批判を読み取ることもできるだろう。本展で鑑賞者は、須永が絵画を通してさまざまな既成概念に挑戦し、見たくないもの、隠れているもの、美しくないものとしての影をつかむ現場に立ち会うことができるにちがいない。

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