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BLUE SCREEN
-不在の存在-
 
金田剛 澤田詩園 正村公宏
会期 : 2024/7/13(土)〜7/28(日)
木金16:00〜19:00
土日13:00〜19:00
​※7/18(木)は15:00~18:00
※7/19(金)は臨時休廊

※月・火・水曜日、祝日は休廊

会場 : myheirloom
東京都中央区日本橋大伝馬町11-10 西井ビル3F
金田 剛 | Tsuyoshi Kaneda
1997年生まれ
新潟県出身

2020年 東京工芸大学芸術学部写真学科卒業
2022年 東京工芸大学大学院芸術学研究科博士前期課程メディアアート専攻写真メディア領域修了

主な個展
2022年 M(72 Gallery/東京)

主なグループ展
2022年 ART AWARD TOKYO MARUNOUCHI 2022(丸ビルマルキューブ1F/東京)
2022年 KUMA EXHIBITION 2022(ANB TOKYO/東京)
2021年 Astrograph(ギャラリー砂翁/東京)
2020年 写真新世紀展2020(東京都写真美術館/東京)

主なアートフェア
2023年 第2回泉州(華光)国際映像ビエンナーレ(福建華光写真芸術博物館/中国)
2022年 T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 2022(大丸東京店/東京)
2022年 浅間国際フォトフェスティバル2022(PHOTO ALT/長野)
2021年 T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO 2021(東京駅グランルーフ/東京)

主な受賞歴
2023年 PITCH GRANT(ファイナリスト/京都)
2022年 ART AWARD TOKYO MARUNOUCHI 2022(ファイナリスト/東京)
2022年 IMA NEXT THEME #28 OTHER HISTORIES(ショートリスト/東京)
2021年 PITCH GRANT(ファイナリスト/京都)
2020年 T3 STUDENT PROJECT(グランプリ/東京)
2020年 写真新世紀(優秀賞/東京)                         
澤田詩園 | Shion Sawada
1996年生まれ
北海道出身

2020年 多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業

主な個展
2024年 Full Volume Visions(大気いっぱいの視覚)(BOOTLEG gallery/東京)
2023年 ありえはじめる(東葛西1-11-6-A倉庫/東京)

主なグループ展
2023 澤田詩園写真実験場(ラフォーレ原宿/東京)
2020 写真新世紀2020(東京都写真美術館/東京)
2020 Touch of summer 夏の手触り(ロロピアーナ銀座/東京)

主な受賞歴
2023 雑誌「NC」に作品をピッチする日 パブリックボート賞 Reminders Photography Stronghold
2022 第6回写真出版賞 審査員特別賞
2020 写真新世紀2020 佳作
2020 多摩美術大学卒業制作 優秀賞         
正村 公宏| Kimihiro Masamura
1995年生まれ
千葉県出身

2020年 東北芸術工科大学日本画科卒業
2023年 東北芸術工科大学複合芸術領域修了

主な個展
2023年 未視感-Jamais vu-(YY ARTS/東京都銀座)

主なグループ展
2022年 Emerging Painter's Show- Summer 22 -(myheirloom/東京 アーツ千代田 3331)
2023年 etoototo (東京都渋谷 +ART GALLERY)
       アマダレ2023 (画廊翠巒/群馬県)
       シブヤスタイル (西武渋谷店美術画廊/東京都渋谷)
       たいせつなもの展-HERO- (靖山画廊/東京都銀座) 
2024年 青と緑は水切りを (UNPELGALLERY/東京都日本橋)

主な受賞歴
2020年 東北芸術工科大学卒業制作展 優秀賞受賞

                

myheirloomではこの度、企画展「BLUE SCREEN -不在の存在-」を開催いたします。

本展は、写真技法を用いて制作を行う3名の作家に「青」という主題のみ与え構成した展覧会です。

展覧会タイトルともなっている「Blue Screen」は、死のブルースクリーンとも呼ばれ、コンピューターの致命的エラー発生時に表示される画面のことを指します


コンピューターには様々な情報が保持されていますが、何らかの異常によりOSがダメージを負った場合、その蓄積された情報は徐々に失われ、最終的には復旧不可能となってしまいます。
青い画面は、留めていたものが失われる時の警告であり、また不在がそこに存在している状態とも言えるでしょう。また、それらをそれを留めようと復旧に入るコンピューターの儚い自我のようなものとも言えるかもしれません。

写真の古典技法であるサイアノタイプは日本では「青写真」とも呼ばれ、設計図によく用いられていたことから、未来の計画の意を示す比喩にも使われています。

図らずも、3人の作家は過去、あるいは現在進行系でサイアノタイプに触れており、感覚的に「青い空間」という抽象的なお題に対しても、直感的にイメージが浮かび上がってきたはずです。

各作家が思いを馳せた「青」のイメージ、それは長い時間をかけて図像を紡ぐ未来への設計図となりえるか、はたまた崩れゆく記憶を留めようとする抵抗の証となるか。


そこに何かがあった痕跡を探そうとする、あるいは痕跡があったかのように振る舞おうとする作家の眼差しから、青い空間をどのように構築していくのか紐解いていきたい。

 

金田剛は綿密な調査にて裏付けられた事実や歴史的背景、慣習などをもとに、目の前の現実ではなく、ファインダーの外に架空のストーリーを人工的に作り上げ、意図的に構図を作り出す、気鋭の若手フォトグラファーです。

ありのままの「今」を切り取ることが出来る写真表現から外れ、あえて作為的に設計された架空の世界に生を吹き込むようにカメラを操るそれは、フォトグラファーよりもペインター的なアプローチに近いのではないでしょうか。

今回はネイチャーアクアリウムをテーマとした新作『こなれた水の科学』より、『水草のフォトグラム』をメインに展開いたします。

青色を基調としたサイアノタイプを模した『水草のフォトグラム』は、水草の個の特徴をダイレクトに写し出す手段として、水中でのフォトグラムを試みます。

赤・青・緑の三原色によって構成される太陽光が水底の水草に到達するまでの間、赤色の波長の光は水面に吸収され、主に青色の光が水草に降り注ぐ。自然界のこうした仕組みを足がかりとし、水草の生命力に満ちた姿を強調するために青色を基調としたフォトグラムの作品を制作しています。

本作品は水生生物が生命維持するために十分に成熟した水を指す「こなれた水」と、その「科学」がもたらす水槽という舞台上に創られた小さな自然について考察した現在進行形のプロジェクトです。

自身の概念をもって、さもそこに存在するかのように世界を構築し、成立させてしまう創造主的な視点は、痕跡を確かめるのではなく、生み出すものとなります。青写真を描くという言葉通り、まっさらな土地にはいつの間にか緻密な設計図が引かれ、金田によって息を吹き込まれた新しい世界が構築されているのです。


澤田詩園は、何が人を人たらしめるのか、その境界や存在のあり方について、あやふやな形を浮かび上がらせようとシャッターを切ります。
果たしてどこからどこまでが存在を定義する輪郭といえるのだろうか。はたまた、漫画などの二次元的平面表現では、輪郭線によって存在が定義され形が存在するが、写真によって人の輪郭を浮き立たせるせることははたして可能なのだろうか。
若年性認知症への異常な不安があるという澤田は、記憶があいまいになるとそのまま世界から断絶され、誰からも認識されず、自身の認知も及ばないまま消えてしまうのではと考えることがあるといいます。
私が確かにそこに存在することを、人の形を確かめるように記憶して、そこに留めるように保存する。それはまるで、ブルースクリーン状態のコンピューターのように、何かがそこに存在した手触りと、そこに留まろうとする自意識とを救いあげようともがく澤田自身の格闘の痕跡でもあるのかもしれません。


正村公宏は変わった経歴の持ち主といえます。日本画出身の彼が描く作品は、和紙を支持体としたサイアノタイプの像を何層にも重ねた時間の経過を表現するもので、いわゆる岩絵具や膠を使用せず、日本画の枠組みを飛び出そうと試行するアプローチとなっています。
画家で在ろうとするとき、目の前のモチーフは静物でない限り少しづつ変化をしていく。その瞬間を切り取ろうとしても、それは絶対に叶うことはありません。
日本画の教えとして、写真をモチーフにしてはならず、直接そのものを見て描くことを求められるといいます。
正村はそのような絵画の限界や、写真という存在への向き合い方に常に疑問を持ちながら制作してきました。
過去には写真そのものを支持体として、上から和紙を重ねるような作品にも挑戦しています。
絵画では今この瞬間を捉えることは出来ず、写真にできることが絵画には出来ない。では絵画で出来ることとはなんなのか。正村がサイアノタイプに行き着いたのは必然であるかもしれません。長い感光時間を経て薄い和紙に写し取られるモチーフは幾重にも重なり、一枚の絵画として現れます。
儚い瞬間の記憶は、薄い和紙を媒介としてなんとか形を保とうとするが、重なり合うことでそこに確かに存在していることを主張しているとも言えるでしょう。
目の前の瞬間を記録し、その記憶を留めるための写真は、正村の手により新たな世界線の記録として再構築されていきます。

 

本展では、三者三様の手つきによって、そこに対象が存在するとは一体どういうことなのかを炙り出そうとしています。

 

事実をもとに要素を組み合わせ、写真の役割から逆説的に虚構を構築するもの
目の前の存在を定義するために、人の本質的な輪郭を浮かび上がらせようとするもの
不確かな記憶を留め世界を捉えるために、何層もの記録の重なりから時間の連なりを描くもの


フィルムを介して世界を捉え直す作家の脳内は、まるでブルースクリーンが発生したコンピューターのように、目の前の曖昧な記録を断片を拾い上げながら新しい世界を再構築しようと常に稼働しているのです。


それは存在の定義を組み替える設計図であるかのように、本展を通して今この瞬間存在の確かさについて私達に問いかけています。

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