宮崎竜成 個展
「踊る死体、磔のグルーヴ」
会期:2022/8/27(土)〜9/11(日)
開廊時間:木・金 15:00〜19:00 土・日 12:00〜19:00
定休:月・火・水
会場:myheirloom(アーツ千代田3331内)
※祝日の開廊ルールについて
月火水の祝日は閉廊、木金土日の祝日は開廊とさせて頂きます。
時間等は通常営業と同様です。
myheirloom(マイエアルーム)ではこの度、金沢美術工芸大学の博士後期課程に在籍中のアーティスト、宮崎竜成による都内では初となる個展「踊る死体、死のグルーヴ」を開催いたします。
宮崎は、作家としての自身の居場所やその身体性について、絵画を通じて何が表現できるのか、何を表現すべきかを常に問い続けています。「人が持つ主体性や身体性を絵にあずけて、生きていることそのものを見つめられるような空間表現。」宮崎の制作スタンスは、この一言に集約されているといっても過言ではないでしょう。
2021年に金沢で行われた作家主導の芸術祭「ストレンジャーによろしく」にて発表した作品「それは、BGM(熱の皮膚を交換する)」では、氷の固有振動や溶ける音をマイクで集音し、轟音を空間に響かせるサウンドインスタレーションを披露しています。氷は、摂氏0度で水へと変化する過程の中で「自由に動けるようになる」ときに、周囲の熱エネルギーを奪いますが、宮崎は葛藤する人間(=自己)を水の形態変化になぞらえ、身体性との関連を見出そうとしました。
音を媒介とした表現であっても、絵画の形態であっても、根本にあるものは身体であり、生であり、変化です。本展では[記号的アプローチ]と[身体的アプローチ]と称した2つの絵画体系を空間に有機的に配置し、鑑賞者自身を絵画の踊りやグルーヴに巻き込むような展示を目指しました。
記号的アプローチは、宮崎いわく「絵画の中で点、線、面、色彩が絶えず結んでは解け、絵画のフレームを内側から振動させる-磔のグルーヴ-を生み出す。絵自身が絵になり続けようとするような絵。」を指します。絵画は、何気ない日常の断片の集合が絶えず結び合い解け合うことで常に揺れ動いていますが、その中でただの線が記号として、さらには「絵」として意味を持つ転換点を探るアプローチです。モチーフとされた日常風景が綻ぶ瞬間、結びつく瞬間、その揺らぎと境界を捉えようと試みます。
身体的アプローチは「描く自分の体を踊らせるように、線や色彩を流動化させ、自身も絵に捉えられながら、まるで絵と私が手をとって踊るように複合的なリズムを作り出す。変化し続ける形としての絵画。」を指します。絵はただ描かれるだけのモノではなく、人間とはまた異質の「身体」として立ち現れてくる現象である、と定義し「踊る死体」と名付けました。紙は擦れれば繊維が剥き出しになり、水を吸収すればヒダが生じるといったように、絵自体の身体性とその変化を独自の目線で変化を捉えようと試みます。
これら宮崎による絵画への眼差しは「絵画とは何か」についてきわめて真摯に向き合った結果の一つの解答であり、本展は芸術と向き合う学生でもある彼の、学び・研究における集大成となる展示とも言えます。会場では絵画を鑑賞し「体感」いただくことで、その姿勢に触れていただければ幸いです。
ー踊る死体、磔のグルーヴー
私の身体では視覚が機能する。だから、日常の大半は視覚を頼りに生きている。視覚は私とそれ以外に境界線を穿つから、それは距離の世界を生きるということだ。距離は外側からものを見ることを可能にしてくれる。またよく見えるというのは輪郭が非常にはっきりすることで、それはとても安全だ。
私は暫く絵を描いていて、それはずっとずっと、自分のフレームを問い直すことだった。しかし、絵を描く時点でフレームは描かれる前から既に用意されていた。そう気づいた時、白いキャンバスのなかに完成されたありとあらゆる絵が既にそこにあるのだとも、同時に気づくことになった。描く前から、絵は無数の既に用意された選択肢に埋め尽くされていて、それはさながら、大量の死体が転がっているようだった。そこから逃れたくて、時にはキャンバスを切り刻んでみたが、そこには既にフォンタナが転がっていた。木枠を破壊したり構築したりすることと絵を描くこととを同時に行ってもみたが、そこには小林正人が転がっていた。フレームをはみ出すように、その次元を複雑にしてみても、やはりそこにはステラや岡﨑乾二郎が転がっていた。それでも絵を描くには、その死体をかき分けていくしかなかった。
予定調和の死体から運動を取り戻すには、既に用意されたフレームの周りを包む、偶然性とノイズに満ちたカオスの中へ入っていくほかはない。もはや安全な距離の世界にいるだけでは駄目なのだ。とはいっても、フレームのの世界から完全に逃れ去ることもできなさそうだ。だから、フレームを、有限性を、目一杯肯定するように、バラバラになりそうな私が再び戻ってこれるようなものとして付き合い始めた。それから、私は自身をいっそう複雑にするよう努めた。絵を描くと同時に打楽器やシンセサイザーを演奏しながら自分の呼吸の変化を確かめたり、夜の海に1人潜ったりもした。夜の海の中では視覚が完全に遮断され、ただひたすら波の揺らめきと自分の体温や心臓の音が絡まりあい、内側から漏れ出すような感覚があって、本当に気持ちよかった。自分の距離がどんどん無くなっていくのに、海が肌を纏う温度の感触だけはわかる。「あ、死ぬんだ。」と思った瞬間には咄嗟に水面から顔を出して重い足を何とか動かしながらもとの場所に戻っていたことに気づく。そこで私は距離と輪郭を思い出したし、それがまるっきり、自分が絵を描く理由を証明していた。
絵を描く時には何が起こっているのだろう。絵を構成する諸形式である点、線、面、色彩。それらが複雑に絡み合うことで絵のモチーフを成立させるような記号(シンボル)が作り出される。 しかし、それと同時に描く自分の体を踊らせるように、線や色彩を流動化させ、その記号を半ば無効にする。そうしたやりとりによって、そこから複雑に屈折した人体や地層の裂け目、まばらな星からなる星座など様々なかたちがあらわれてくる。そのかたちは体が細胞の分裂や結合、消滅を繰り返すように、または環境が分子の結合と分離を繰り返すように、止まることを知らない変化しつつあるかたちとしてあらわれる。作り手である私はそれを捉え、そしてわたし自身も絵に捉えられながら、まるで絵と私が手をとって踊るように複合的なリズムを作り出す。こうした私と絵とのやりとりをバラバラな要素の集合と分離の運動として捉える時、絵はただ描かれるだけのモノではなく、人間とはまた異質の身体として立ち現れてくる。この変化し続ける形としての絵はさながらフレームとともに踊る死体のようだ。
フレーム、それはどうしようもなく有限な身体との向き合うための方法。
グルーヴ、それは有限の身体が硬直してしまったり、あるいは完全にバラバラにならないように、互いの帳尻を部分部分で直接確かめ合いながら世界のノイズの中でおのれの身体をふるわせること。
宮崎 竜成
宮崎 竜成
1996年生まれ 京都府出身
学歴
2022年 金沢美術工芸大学大学院 美術工芸研究科博士後期課程 在籍中
2020年 金沢美術工芸大学大学院 美術工芸研究科修士課程 絵画先行油画コース 修了
個展
2020年 「その声は歌になるか、その音は律動するか」彗星倶楽部(石川)
2017年 「僕の知っている、知らない場所。」ルンパルンパ(石川)
主なグループ展
2022年 ファン・デ・ナゴヤ 2022「密室、風通しの良い窓、ぎこちないモンタージュ」市民ギャラリー矢田(愛知)
2021年 「ストレンジャーによろしく」金沢市内各所(石川)
2021年 「ゆるやかな一瞬」 芸宿・ダージャ跡地・彗星倶楽部(石川)
2018年 「写真的曖昧」 金沢アートグミ(石川)