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myheirloom pre-open exhibition vol.4 "finale”
11/2(火)〜11/14(日) 11:00~20:00
Room_412(渋谷)

澤 あも愛紅 宮山 香和 「歪な避暑地」

 myheirloomではこの度、新たにアーツ千代田3331内にギャラリースペースを設けることとなり、正式開廊前のプレオープン展としては最後の企画となるグループ展「歪な避暑地」を開催いたします。

 本展は、澤あも愛紅、宮山香和の2名が日常の中で感じる違和感や些細な事物の変化を読み取り、作品を通じて歪みを表現する試みとなります。よく知っている場所のはずなのに、ふとした瞬間に無限に広がる荒野の中で一人置き去りにされた様な、不穏な感覚に陥る瞬間、また、全く知らない場所のはずなのに、どこかでみたことがある様な懐かしさ、夢なのか現実なのかわからないが、 過去同じ場面に遭遇したことがあるのではないか、と、思考と目の前の風景が脳内でうまく結びつかない不思議な感覚。これらは誰しも経験したことがあるはずのものです。
 
 Liminal Spacesという概念が昨今SNS上で注目を集めています。不穏な雰囲気を醸し出す世界各国の風景を投稿するアカウントには、毎回多くのリアクションが寄せられ、この既視感は世界人類共通のものであることがわかります。
 
 本展では、そうした言語化の難しい感覚を平面絵画へ、また展示空間内へ反映し、私たちの日常へ揺さぶりをかけるものです。言語化できない視覚感覚的な要素を抽出し、現実から離れた別の位相へと鑑賞者を誘います。




 澤は「絵画・平面作品における“4次元“性について」をテーマに制作を行い、日常の中で“4次元“的だと感じる瞬間・現象 を絵画に 置き換え作品化している。一般的に四次元とは三次元に一つの要素(時間)を足したものだとされている。しかしここで いう “4次元” はそれとは異なり、時間だけではなく感覚的な要素も含まれる。
 形としては見えない “4次元” を作品にする際、現実にそれを表すのは不可能であるため、作品は3.5次元の状態と して表現される。「キャンバスを床に置き棒を用いて自立させる」「壁からキャンバスを浮かせる」「アクリル板等の透明 な素材を支持体にする」な ど、“4次元“への志向に適した方法や素材を模索し、4次元を超越するプロセスを形にしている。絵画の枠を超えた構造体としての 3.5次元的イリュージョンという、独自の視覚体験を希求しているアーティストと言えるだろう。  
 それぞれの作品にある描写部分は、異なる2枚の写真イメージ(土地・時間・視点・もの、距離、など) を、デジタル上で 貼り合わせ、下絵としている。 澤にとって写真を撮る行為は、“4次元“的だと感じた瞬間をイメージ化(二次元・平面化)する 最も速く身近な手段だと捉えられ、それらはドローイングとして記録されている。三次元の空間を、一つ次元を落とした二次元の面として変換することは、 澤が“4次元“を三次元の空間の中で3.5次元的に表現することと相似的な手段であり、その写真自体もn次元への介入を試みた痕跡 の一つとしてアウトプットされる。
 変形した特徴的な支持体と、設置壁面から張り出し空間を侵食するような3.5次元構造物としての絵画、三次元を二次元化する装置としての写真を用いたイメージ、これらの掛け合わせにより本展では「歪な避暑地」としてのイメージの表出を探る。


 宮山は、人を直接的に描かず間接的に”気配”を感じさせる構図を選択し、直接的な表情や構図からではなく残り香のような余韻から画面を構成している。人や物の間にある関係性やそこから発生する感情は私たちの日々を取り巻いているが、決して目には見えない存在である。
 宮山はこの漠然とした存在を絵画として結晶化させるような感覚で制作を行う。近景・中景・遠景がはっきりと分かれた構図が多いのは、宮山が学生時代に取り組んでいた人形劇の制作過程から影響を受けているためである。演劇の舞台上のようなモチーフの配置を行うことで、現実から距離を置いた物語性を浮かび上がらせている。
 「光と陰のコントラストを描き進めていくと、絵画内の空気が濃密になるような感覚がある。」と宮山は言うが、それは彼女にとって人の内面を描くことに近い意味を持つ。人の感情は常に変化して捉えどころがなく、暖かな陽の光のような優しさをたたえることもあれば、些細なきっかけで暗く沈むこともある。真っ白なキャンバスに絵筆で光陰を乗せていくことによって、そういった目に見えない本性を画面に暴き出そうとする痕跡が、非日常的でありながらもリアリスティックな人間の営みを逆説的に増幅しているとも言えるだろう。
 
 2019年の発表作品「白昼の内側」「ヘミングウェイと南国の鳥」と、シェル美術賞やFACE展等の入選が相次ぐが、この頃より形而上絵画的な要素を確立しており、静謐な世界で息を潜めているような”緩やかな狂気”と”質量を感じない浮遊感のある世界”を感じることができる。また、五美大展での発表作品「海のそれら」も同じく内と外の関係が曖昧な境界の中に漂う所在なさが絶妙な空気感を纏い、その世界観を確固たるものにしている。
 何かが起こりそう、という予感や気配は、宮山の絵画自体が現実の世界から隔絶された別次元を覗く窓のような役割を果たすことで眼前に現れるが、そこから読み取れるものは空虚さや不穏さだけではなく、懐かしさや哀愁漂う空気の手触りを持って、私たちに何かを問いかけてくるようでもある。
 個人的な生活の中から着想を得て、日常から切り離された一瞬を捉える。その矛盾を通して、普遍的な情動の深層を垣間見る。 宮山の絵画は正にアンドレ・ブルトンが言うところの「世界に対して開かれた窓」であり、対峙することで現実世界の感覚を深化させ、 超現実のまどろみの中で日常への眼差しが改められる契機となるだろう。

 

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